強い風が吹き荒れた日本列島でした。
みなさん、少なからず影響を受けたと思いますが、だいじょぶかい?
私もその最中動き廻っていました。
5月2日
宮古カントリーズカフェで行われた渡辺俊美さんの「INTER PLAY」に飛び入り
させていただこうと106バスで乗り込みました。
18時集合でしたが、宮古に17時に着いたので、町を歩いてみて「暖」という居酒屋さんを
見つけたので、たまにはと思って一人で開店したてのお店にお客一人という状態でビールを
一杯と牛タンつくねだけいただきました。
そうこうしているうちに着いたカントリーで、渡辺俊美さん

と打ち合わせを少しして、
2曲ギターで参加させていただきました。
「あーりふーれたー」ですよ。
打ち上げの後観に来ていた遠野のムーディ

に実家の仮設住宅に送ってもらって、
ありがとねーと言ってお別れしたのが、午前3時くらい。
玄関に手をかけて、鍵が閉まっていた。
その時に「は!」と我に返った。
ここは実家じゃない。仮設住宅なんだ。
流される前は鍵なんてかけたことなかった。
だから、勝手にこそっと帰ってコタツに寝れば良いやって感覚のままだった。
不覚。
これは親にも迷惑だ。でもどうしよう。ここはもう被災した地域だ。
元から何もなかったけど、それこそ行く場所なんてないんだ。
うっわ!しかも携帯をムーディの車に忘れたっぽい!最悪。電話で親を起こすことも
出来ない。
30分ほど仮設の玄関でしゃがみこんでから、「もうこんなんなら、思い切って海まで歩いて
みるか!」ってな肝試しを考えた。
仮設から実家の跡地は2.5kmはある。その間は暗闇しかない。
全部流されたのだから。
小雨がその時から降り始めてきたが、一人で歩いてみた。
とっても怖かった。
闇に眼が慣れてくると、余計に恐ろしい景色。それと小雨。寒い。足が痛い。
海まで行ってみた。
誰も来ていないんだろうな。岸壁がカモメの糞だらけ。
そのうちに夜が明けてきたのかな。海はインディゴになってきた。
それから、とぼとぼ帰った。仮設に。ぐったり疲れていた。
でも多分今はまだ6時にもなってない。
また仮設の玄関で30分ウラカラしていたら、父さんが起きてきた。
「起こせば良がったのに。」
ほんとにすみません。とそのまま父さんが寝ていた布団に倒れこみ。
5月3日
叔父さんの法事で父さんの兄弟、つまり叔父さんたちと亡くなった叔父さんにも縁がある
みなさんで法事をして山田の中央のスナック「ふーちゃん」で献杯。
その頃には嵐はとてつもなくて、10秒も外に居られないほど、少しだけ参加してバスで
帰るつもりだったけど、この雨はとにかくすごかったんです。それから、すごく久しぶりに
両親や叔父さんたちがすごく楽しそうにしていて、そのまま予定変更したのでした。
せがまれて、Bon Voyageを歌ったら、みんなに火がついて、大カラオケ大会になった。
家族の結束ってやつが沁みてしまった。
5月4日
北上のCafe & Bar [CHUP]へ

CHUPさんは一周年記念で我々HatiRを呼んでくださいました。
そして、北上といえばこの方、

Yズミさん!
おかげさまでございました。今回もお世話になりました!
久しぶりにベースをライブで弾いた!
すごく良かったです!北上の人々も良いリアクションで気持ちよかった!
また行きますね!
5月5日
ゴールデンウィークで今度は両親が我が家に遊びに来た。
ま、これは飲んだってことで!
5月6日
やっと晴れ間がでた。昨日だ。
この日は去年から続いている「僕達のリアース」というフリーマーケットで、
私もずっとライブで参加している。
今までで一番の出店数と来場者じゃなかったかな。
このイベントが認知されてきた証拠でしょう。
この日もユンテラとHatiRで出ました。
僕らがやる頃にはまた重い雲が空を覆って、今にも降りそうに強い風が嵐のように
怪しく吹いてきて、でもその時には僕らは「Golden Ship」の一番嵐の中のような場所
に居たので、強い風が逆に演出のようになった。
Bon Voyageを唄って、また後でやる事を宣言して、ガンボチローズに次のライブを
引き継いでユンテラとトイレに行って帰ってきたら、もうすごい大雨でした。
挙句には雹が降ってきた。
でも、ガンチロそれでも演奏して、かっこよかったです。
男でした。
イベントはそのまま中止しましたが、いろいろ充実したものがみなさんの心に残ったことは
重要なんじゃないでしょうか。
またやりましょう。
という嵐の一週間でした。
次回はこちらに参加です。
ユンテラ君の一押し。
SOMA君の写真で二押し。